沖縄サバイバルラン(参戦報告)

Oさん ど真ん前の真ん中に陣取って 座っている
 会場のユースホステルに着きました。徐々に変態ランナー(村岡ダブルでは(笑))が集まってきます。天候は晴れ24℃くらいになりそうです。




まだヨレヨレですがCP3に向かっています。今辺野古を過ぎました。
残念ですが、主催者の沖山さんに止められました。

沖サバの応援有難うございました。

主催者の沖山さんから来年も65歳以上と70歳以上各2名の優先枠を設けるから出て欲しいと要請されました。今年は、優先枠を広げたので、エントリーは、4分くらい時間が有ったそうです。来年は、これまでどおり左回り、再来年は、430キロにするそうです。沖サバは、ほとんどのランナーが完走出来ませんが、アットホームで楽しい雰囲気です。常連が多いです。ちなみに、私は最高年齢者で紹介され皆さんから希望が出たと喜ばれました。

結果速報 27日12:00 74名中完走者24名(完走率32.4%)今年は、かなり完走率が高い。

Oさんの記録 CP3サンライズひがし(166.5km)手前 辺野古付近(※CP3通過者42名 途中棄権者32名 CP3リタイヤ率44.4% 通過率55.6%)


沖縄サバイバル参戦報告  R5.12.1記

‘2020年NHKドキュメント72’で放映された「沖縄サバイバル400㌔」(通称「沖サバ」)を見て、こんなに厳しい大会が有るのかという衝撃を受けました。

折しも台風が接近し大雨にもあたり、映像は過酷で50名前後の参加者で最後に残ったのは、5名程度だったと記憶しています。

私は、70歳に達していましたが、一度は沖サバのスタートラインに立ちたいと、これまで2度エントリーを試みましたが、一般定員枠は40名と少なく瞬間に締め切られました。

昨年、主催者の沖山さんと連絡を取り、高齢者等の優先枠を依頼しましたら今大会は、65歳以上・70歳以上に各2名の優先枠が設けられました。

これでは、言った手前行くしかないとエントリーしました。さすがに70歳以上の応募がなく私が73歳最高齢で次は、大会関係者の71歳の方でその他の優先枠も加えて参加者は79名となっていました。

スタート前の簡単なブリーフイングでは、「これまでの最高年齢で参加される北海道から来られたOさんです。」と沖山さんから紹介も頂いました。

参加される皆さんからも、「これからの励みになります。頑張って下さい。」と多くの激励を頂き完走出来ないただのにぎやかしランナーとは言えず冷や汗でした。

 スタートは、24日金曜日の12時、15名程度で2分おきのウエーブスタートでした。今回は、初めての南回り(再来年、430㌔にする為のコース確認)で糸満方面を周り北に向かいました。最高気温が24度と言われており暑い中でのスタートでした。また、南部は、アップダウンが多い(沖縄100で湯浅さん一部体験)し、当然歩道走での信号待ちも有り、予定タイムのキロ7分をオーバーしCP1の49.5㌔(6時間30分)には、1キロ程手前でタイムオーバーとなりました。

 ああ、俺の沖サバは、CP1にも行けず終わりかとホテル探しに頭を切り替えながら歩いてCP1に着き後続者を待っていると、最終ランナーが到着後、スタッフから「まだ走れる方はCP2を目指してよいです。」との宣言。「え・・そんな事有るの。さすが沖縄」と驚きやら有難いやら5名の内私ともう1名が計測バンドを返してもらい走り出しました。

 CP2(92.5㌔)14時間制限は、もうオマケはないと必死で走りだしました。

 幸い夜間に入り気温も下がり前半よりアップダウンも少なく案外快調に走れました。

 沖縄は、中心部を除き道路には、ほとんど街灯が無く暗闇の中での走行です。また、遅いランナーなので前後にランナーがいない不安の走りでした。

 コースを度々間違え、途中、沖山さんに連絡し(沖山さんは、寝ずに携帯での選手の連絡やスタッフから走行状態を把握しており)標識確認の指示をもらいさらにコンビニでの方向確認を行い何とかCP2には、関門20分ほど前に到着できました。

 (地図は、大会で用意してくれますが、四つ折りで畳んでいたら途中で切れてバラバラになりさらに方向が分かりづらくなりました。)

 CP2は、観光名所海中道路(約5キロ)の折り返しですが、海からの風が強く寒さも加わり辛かったです。(再来年は、ここを渡って島一周をさせ430㌔にするべく沖山さん考えているようです。かなりサド体質か…これ以上伸ばすのか)

 まだ午前2時前不思議と眠くなりませんでした。(日頃21時頃には、ビールを飲んで寝る方ですが)次のCP3(サンライズひがし166.5㌔制限時間24時間30分)を目指し走りだしました。

 ウルトラも100㌔を超えて給水では、コーラ等の刺激の強い飲み物を前半多く取ったためか食べ物が食べられなくなりました。

 そこで購入したのが「沖縄のさんぴん茶」まろやかで胃に優しい飲み物でした。後半はさんぴん茶で救われました。

 また、私のGPS時計は、100㌔過ぎると電池切れとなり、もう一つのスポーツウオッチで時間だけが頼りでした。

 沖サバは、CP以外は、距離が分からないのも不安でした。なにせ次のCP3までは、77㌔もあります。名護市の辺野古湾を超え半分くらい走ったかなと思った午前10時ころ、主催者の沖山さんが、車から降りてきて「もうCP3の到着は無理です。車に乗って下さい。」とのことでした。車には、既に2名のランナーも乗車していました。

 「あ~歩いてでもCP4北端の辺戸岬まで行きたかった」と思うも大会関係者にご迷惑を掛けられないと残念ですが断念しました。多分走った距離は、130㌔前後かと思います。

 途中数名をひろい、CP3からマイクロバスでスタート地点に戻りました。

 さて、25日土曜日と26日日曜日は、一応走る予定で宿を取っていないので、名護市に向かい一日目は、稲嶺前市長・山里前副市長と再会の宴会、翌日は、滝川BEERS30周年に来てくれた名護BEERSI氏・会長のN氏と懇親会と飲んだくれていた2日間でした。

 名護市を歩いていたら3名のランナーと会いました。頑張っている姿を見て、「何か申し訳けない気持ちや・・・でも自分には無理だょな・・・少し複雑な気持ちでした。」

 27日月曜日は、那覇市に戻りスタート会場のユースホステルで完走者を迎えました。

 3日間(72時間)走り切ったランナーがとても眩しく見えました。

 多くの完走できなかったランナーやスタッフが暖かく迎え他の大会では味わえないアットホームなゴール姿でした。

 今回は、完走者が多く24名くらいが完走できたそうです。

 沖サバは、大半のランナーが完走できませんが、皆さんがリピーターで来る魅力的な大会だと思います。(3回来ているが完走できない等々)

 完走への夢は、誰しも持ちますが、反面それぞれが自分の目標(距離)を持って挑むのも「沖サバ」の魅力です。よかったら皆さんもこのドMな「沖サバ」を目指して下さい。

 一番の関門は、エントリーです。65歳になったら参加の実現性が高いです。それまで息長くしぶとく頑張って走りましょう。

番 外 編


25日 名護市に着きました。
稲嶺前市長(中央)と山里前副市長(右)と懇親会をしました。
山里氏は、今は県議で活躍してます。
明日は、那覇市に戻り沖サバの完走者を見たい思います。
こんなにゆっくりするのは、沖サバリタイアの効果かな

今夜(26日)は名護BEERSのN会長(左)とI君(右)と懇志を深めました。
皆さん元気です。

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