ヨッシーより
天候 晴れ(ピーカン) 気温 15℃(S)最高気温25℃ 19℃(F) 無風又は微風
隔年大会 2022年ではウルトラ人気№1 100km 累積標高約2,000m弱 制限時間14時間(ブロック分 Aが4時30分STARTの14時間、BCDと30分づつスタートが遅れ、FINISH同時刻の18時30分だ)
今回の参加者は、ヨッシーとラン友、相談役は急遽不参加となりました(残念です)
※大会映像等はYouTubeをご覧ください
★ ヨッシーのペース表 ★
(コース)
コースは今回から新コースのSTARTとFINISHが同会場の謙信公武道館となり、大会参加の利便性は向上した。
一方で、前回まで、6つ峠が中盤にあったが、今回は13km地点から始まり50㎞までには累積標高の約2,000m弱のほとんどを獲得するという6つの峠のうち5つは超える意外に厳しいコースと言える。
この新コースによって、過去のデータがなく(泣)、比較的山岳系寄りのウルトラマラソンでは、走力が完走ギリギリの私にとっては、もう不安しかない。
どこの登りを頑張り、どこの下りを注意するのかなど情報が乏しい。無駄な力を使ってしまうからだ。
一応、コースは違うが峠が5つある旧コースの「ギリギリランナーの鈴木さん」の過去のデータがあったので、距離と標高を見ながら、自らペース表を作成してみた。
やっぱり50km通過タイムは6時間30分、だめでも40分を目指すことに設定した。
(体調)
9月8日コスモスマラソンで痛めた左のアキレス腱炎のため、歩くこともままならない状態であったが、故障後10日目から、みやけ整骨院に通い出してからは、劇的に回復していくのがわかるほどだ。
これで、9月29日の網走マラソンには、左足にテーピングをしつつ出場することができ、25km地点までは、全く問題なく、ペースも㎞6分以内で、タイムも4時間30分が切れるようなペースであった。また体が軽く、呼吸もしやすい、腕も良く振れる。調子がいい 最高だ。でも突然、踵に石が入ったような激痛に襲われ、走ることができないような状態で、ほとんど歩きながら、結果5時間20分弱でのGOALとなった。でも、ついこないだまで歩けない状態だったのに参加できるとは奇跡的だ。三宅先生に感謝です。
それから、2週間での今回の参加となった。故障後5週間、網走には出たものの練習はしていない。三宅先生にアキレス腱炎と足底筋膜炎に備え、テーピングを教わり、完走できるのか不安を抱えつつ、参加を決定した。
(心構え)
アキレス腱炎の回復度合いが、網走以降全く走っていないので、わからないことから、START時点から、慎重に様子を見ながら、㎞6分30秒~7分を刻み、足の着地、姿勢、左右のバランスをチェックする。当然 心拍も管理 登りで160、下りと平地140台だ
峠においては、登りは、アキレスに負担 をかけないよう、お尻というよりは大腿四頭筋を使うすり足を心がけ、下りは、ピッチ走法で、着地の衝撃を最小限にするよう、足裏全面着地で、いつもは㎞5分前後で下るが、㎞6分30秒より早くしないよう心がけるよう。
また10kmごとには筋膜リリース(屈伸)。気温が高いので経口補水液パウダーを摂取するよう注意することにした。
胃腸薬も、気温上昇で大量の水分を補給するためにガスター10を服用。ただし、アキレス腱炎などを、悪化をさせないよう80㎞付近までは、痛み止め(ロキソニン)は服用しないようにした。
もちろん、目標は完走だ。ただし、条件付き、冷静な判断を失わず、最悪の事態は避けるよう心がけること。でもなあ 走ると楽しくて、すぐ忘れる(笑)
(前日)
今年から新たに就航したトキエア(丘珠空港から新潟空港、そして空港リムジンバスで新潟駅へ、さらに高速バスで高田駅まで、すべて予約できないので、満席で乗り遅れると、とんでもない時間に到着してしまう。明日は、2時起きだから、予定していたバスに乗り、午後6時着を目指したい。つねに分刻みだ。
なんとか、各車乗り場を見つけ乗車(ほとんど満席)、高田駅には20分遅れで到着。
でも宿が徒歩1分だったので、そこは便利だったな。(朝食を駅のコンビニで購入)
すぐに、安着祝いと決起のため、居酒屋(割烹系)へ、やっぱ、上越市は、米どころ、美味しい日本酒を味わう。大会を考えると、ビールどまり、飲んじゃいけないと、言い聞かせたが、美酒の誘惑には勝てなかった(笑)
お通しも、十数個の中から2個を選べるという客の心をつかむ演出だ。明日のために炭水化物と思い、お品書きをみたが、寿司のみ、なので、地元の魚を使用した寿司をいただいた(旨い)。あとは海鮮等ダシをきかせたザンギや自家製さつま揚げ(人気№1)など美味しくいただきました。
日本酒は、県内のものをいただき、スタッフの説明が、これまたソムリエ並みで、より美味しくいだだける。お猪口などの器をお酒ごとに変え、器の熱伝導もこだわり飲み頃の温度管理するほどの日本酒だ。もう絶品。飲さるなあ。やばい もうDNSだ(笑)
その後、なんとか、その場から抜けだすことができ、宿にて明日の準備とアキレスのテーピングを施し、21時30分には無事就寝。
(当日)
起床 午前1時15分(予定より30分早い) 睡眠時間3時間45分
コンビニの稲荷ずしなどを食し、足底筋膜のテーピングなど準備を整え、午前3時に宿を出た。
徒歩1分で高田駅前の大会シャトルバス乗り場に到着。すでに2名ほど待っていた。
出発が3時30分。続々集まり10分前に乗車がはじまり、補助席も含め5分で満員。すぐに発車し、乗れなかった方を、ピストンで、すぐに迎えに行くそうです。
会場 謙信公武道館の15分程度で到着。
トランジットの50km・76㎞とFINISH後の着替え等の荷物を預け、STARTGATEなど見て、再び会館で一休み、その後、4時15分からのセレモニー式がGATE付近で行われるので見に行く。
弥生時代だとか、なんとかと言っていたが、旨く聞きとりなかった 老化(笑)。
その時代から種火を脈々と受け継いできたものをGATE両側にあるガス式聖火に点灯する。なんだかメラメラやる気がでてきたぞ(笑)。
(START)
ハイペースにならないよう、かなり後方のほうからSTARTに。やる気を鎮火させ。(笑)(Aブロックで800名程度)
当然、真っ暗です。ヘッテンを付けて、準備万端 ウォーミングアップもストレッチもしてません。大丈夫か
と言ってる間に、カウントダウン、ゴープロのスイッチとガーミンスイッチを、あれ、ガーミンがトレッドミルに。焦る。なんとか、号砲に間に合った。なんだか、あたふた
先導者、これが車ではなく、人です。1.3km先導するとのこと。推測では、暗いのと狭いので、スピードを抑えるためだと思うが、真意の説明は聞けなかった。
はやる気持ちを抑えつつ、歩きながらGATEを超える。
(START~約13㎞)
暗いのと歩道を走るので狭く、ジョギング程度で、2km程度進むと、ようやく市街地を抜け、田園風景が開ける。車道を走ることができるので、この辺りから走りやすくなる。ここは、㎞6分~6分30秒を刻んでいこう。またアキレス腱の状況もみつつ、安全走行に心がける。なんだか、久しぶりに走るので、走り方を忘れている(笑)。また今まで左をかばっていたので、左に力が入れられないし、そもそもアキレス腱に負担がかけれれないので、すり足、けりこまない作戦で行こう。
10㎞で1時間5分~10分が目標で、30kmで3時間30分~40分を目安に進む。
最初のエイドでは、度肝を抜かれた、でかい、これだけ、団子状態ランナーがなだれ込んでも、あまりストレスなく、補給できる。
ただ蕎麦は10人程度の行列ができていた。で スルー
僕は、笹団子、おにぎり、バナナ、ポカリをいただき、次のエイドへ、補給食がある大エイドが5~6㎞程度間隔にあり、その間に、水分、ミネラルなど補給できる小エイドがある。
10km地点を1時間10分程度(START混雑とエイド含め)通過、少しペースが速いので、ゆっくり目に。
そして、ようやく田園風景の先にある里山から朝日が上りはじめると、景色が色づき始める。
いつもだと話し相手を探して、走るのだが、今回は足に集中しているので、その余裕はない。時々エイドであいさつを交わす程度(残念)
(約13㎞~1つ目の峠 300mアップ)
約13kmから徐々に登りが始まり、15㎞で一気に斜度10%超 これは、たまらん、アキレスに負担がかかるので、歩き、それもまっすぐだと、アキレスが引っ張らさるので、外足にして、斜め方向で受け止める感覚で上る。
走れる斜度は、走るよう心がけるが、斜度が何度も変化するので、ゆるいところも気づかず歩いてしまうしまつだ。
最初の峠からキツさを感じた。ただ距離が少なめなのと、村岡・野辺山から比べると標高差がかなり少ない。
なんとか一つ目の峠(名前があるのかどうか不明 区の堺でもあるようだ。その看板だけは必ずあったな。)を登り終えると、お約束の急な下り、ジェットコースターだ。でもここも、いつものように、飛ばしてはいけない。㎞6分30秒、ピッチで、足底全面でおいていく感覚を意識しつつ、下る。
山岳系ウルトラの魅力の一つは、その景色だ。登れば、眼下を望む、棚田を含む日本の風景がそこにある。最高だ 快晴だから、さらに素晴らしい。(YouTubeをご覧ください)
(2つ目、3つ目の峠)
とにかく景色がいい。言葉では言い表せないが、山岳の道路を登り、又は下り、曲がりながら、巨木の杉林を進む。
時々、小川が流れ、澄んだ水を眺め、せせらぎの音を聞き、建物も瓦屋根だけではなく、時代物の木造建築物があるなどとても風情がある。(YouTubeをご覧ください)
また建物があれば、必ずと言っていいほど、地域の方が応援に立っていてくれる。STARTの暗い時間帯もだ。(感謝)今までのウルトラの中で、群を抜いて、凄い。人気に№1の理由の一つだ。
2つ目の峠を超え、一番低いところで30㎞だ。ここまで3時間35分程度。まあまあ目標とおりだが、2つの峠で かなり、足を使っている感じだ。(やばい)そして、暑さもあり、かなりの汗をかいて、消耗が激しい感じだ。
ここの大エイドで、アイシング用の氷をもらい、リックと首の間に忍ばせた。ここから、汗は少なめになった。もう少し早い段階であればよかった。
ここから3つ目の峠となるが、ここは1つ目と同じくらいのアップになる。もうすでに足を使っているので、厳しいさを感じた。登りでは、大汗のせいで、歩いて上ると、心拍が落ち、足回り、両足の脛が痙攣しそうになった。
血液を回して、ミネラルと酸素を筋肉に回すめに、時々、走って上らなければならない。この登りで、アキレスにも違和感を感じたので、より慎重に。
(4つ目・5つ目の峠)
無事3つ目の峠を降りきり、痙攣も収まり、アキレスも違和感がなくなったようだ。ただ、アキレスを含む体調管理に精神を使い、疲労が隠せない状態だ。
4つ目も結構な勾配と距離だ。中には、ここが一番きついとする投稿もあるようだ。ここは無理せず、ただ50㎞6時間30~40分を目標だけは成し遂げるという思いで突き進む。
ここも何とかクリアし、小さめの峠(笑)の5つ目の峠を超えると、そこに50kmが見えてくる。下りを飛ばせば、目標時間内だが、ここだけ無理しても仕方ない、結果6時間40分ちょっとに通過。(ここの5つ目の峠が、災害の影響でう回路になったことで、従来は5つの峠であったが、6つの峠となったようだ)
ここの大エイド(第3関門 浦川原区総合事務所 52.2㎞)がトランジットです。まずは、食べ放題の食材をたらふくエイド2週する程度補給し、荷物を受け取ったが、まさかの荷物を出出し入れする場所が行列。えぇ・・・・ 帽子とゴープロのバッテリー交換とエアーサロンパスだけで、トータル15分以上費やした。まじか(笑)
ここで、足回り、特にアキレスというわけではないが、かばって走ってきた分、足全体に強烈な筋肉痛があり、遂に、ご法度であるロキソニンをガスター10とともに服用してしまった。もう限界だった。(これ以上は、痛み止めが飲めない不安が募るが、やむを得ない)
(6つ目峠~60km)
6つ目の峠は、どちらかいうと峠という感覚ではない、緩やかな登りから、少し勾配が上るが、カーブは少なく、比較的単調で、ある意味きついかもしれない。勾配的に走れるからだ(笑)。・・・(走りに来ているじゃないか)
途中、救護班2名にエアサロをサポートいただき復活。ありがとう。
それを超え60㎞に到達。あとはフルマラソンもない。なんと時間が8時間15分で到達(50km~60㎞ 力を使ってしまった)。
でも残り5時間45分で40㎞だ。これはイケると確信した。(これが甘かった。ここからが地獄絵図)
(60km~70km)
さあ、地獄絵図のはじまりだ。
ここから、緩やかなアップダウンを繰り返し、直線道路が多く、先先が見え、その長さで視覚的にくじけそうになる。
走行は左側の歩道で、その勾配は車道側ではなく、敷地側に傾く、そこに、側溝があり、コンクリート蓋と時々グレーチングがある。
左足に負担がかけられないので、左下がりの勾配を避けて、側溝は傾いていないので、硬いコンクリートの蓋の上を走ることになり、結果、両足にダメージが蓄積されているようだ。
また日陰もほとんどなく、気温が高い時間帯に突入し、2~3㎞ごとのエイド区間にも関わらず、大汗で水が足りない、フラスコにポカリを入れたが、これが気持ち悪くて飲めない。それでも無理やり飲んだ。もう体を冷やす氷もない。
この10kmは、この大会で一番長く感じた。走れる区間だけに、走ろうとすると、逆に歩いてしまう。先ほどの区間で頑張りすぎたんだと思う。数えきれないランナーに抜かれた。
(70㎞~76km(大潟区))
70㎞を超えると右側に日本海が望めるテンションが上がる区間に差し掛かった。(YouTubeをご覧ください)
また住宅街にも入り、すぐそばで応援していただける。でも応援に対して、すでに感謝を伝える力も残っておらず、手をあげるだけが精一杯となった。
ウルトラは、こんなことはよくあることだ。そうだ波がある。次の波が必ず来る。それまで、歩いては、歩いて、時々ジョグで、進んで、その回復を待とう。
そして76kmのトランジット(大潟区)まで行き、そこで小休憩をはさんで、冷静に判断しよう。トランジットまで残り2㎞は、ほとんど歩かずにジョグで進み76km地点に到着した。(安堵)
ここで、オレンジをたくさん食べ、また海鮮汁(どんぶり)を食べ、さらに汁だけをお代わり、そして、救護でエアサロして走る準備万端(25分休憩)だ。
残り24kmで3時間10分だ。㎞7分50秒で完走だ。あとはほぼフラット。
行けるぞ。
どうする。
後は、残されたアキレス腱と連動するお尻の筋肉を使う走りだけだ。余力があるのは、そこだけだ。
ただ、それを使って本当に大丈夫なのか、何せ網走から1度も走らず、すでに70kmも走ってきている。またロキソニンも服用してしまったので、本来の痛みがわかりずらい。
行けるかもしれない。
でも、ここは、これ以上の冒険はやめよう。
これ以上の負担は、不安すぎる。何度か練習して走っているならともかく、ぶつけ本番で走っているのだから、次のウルトラに必ず完走するためにも、これでリタイヤすることを決断することにした。
悔いはないかと言われれば、悔いは残る。故障により参加出来そうもなかった大会に参加ができただけでも十分だし、増してやコースの美味しい部分はすでにクリアした。
参加したかった大会だけに、走れただけでも喜びで一杯だ。
また5週ぶりに走って、身体や心の毒素がすべて抜け出すようなデトックス効果を凄く感じた。いやあ~すっきりした。ウルトラ最高
故障している私を、ここまで回復に導いてくれた「みやけ整骨院」の三宅先生をはじめ、大会の関係者の皆様、沿道で応援していただいた多くの地域の方々に深く感謝いたします。
やっぱり、評判通り、この大会は、確かにウルトラ人気№1でした。
来年も出よう あああ~ 隔年だった。(残念)
2024年完走率 61.3%(805人/1,314人)
※2022年完走率 72.9%
新コースと気温が高かったことが影響したのか?どおりでキツイはずだ(笑)。
(ひとり反省会)
ラン友は健闘し82kmまで、ただ、体調不良でリタイヤ。結果、反省会はなし。
私は十分、飲みに行ける体力を残していたが、ここは、未完走なので、宿で缶ビールほかお酒を2リットルを飲んで、レースを振り返り、ゆっくり感動に浸った。お疲れ生です。
(おまけ)
翌日、帰路につく前に、早朝(朝飯前)、宿の徒歩圏40分程度 高田の街並みを観光。
木造の建築様式が、軒が歩道まで張り出し、アーケードのようなつくりになっており、歩く人が雨や雪に当たらない。
また玄関からは土間になっているようだ。多分、居住空間は2階にあるようだ。日本家屋がここにはまだたくさん残っている。
高田駅裏には、寺が密集しており、その間隔が50m程度といっても過言ではないほど立ち並ぶ(徒歩圏内に20箇所程度)。もう寺のデパートや(不謹慎だ)
早朝6時ごろであったが、散歩されている方は幾人かいた。
でも犬の散歩している方は全く見当たらなかった。本当に静で、お経の唱える声だけが、あちらこちらから聞こえてくる。
これは、観光に来るべきところだった。いつもことだけど(笑)。(YouTubeでご覧ください)
新潟空港でへぎそば食べた 喉腰で食べるとはこのことだ。
新潟空港で購入した 試飲会(運転があるので試飲できない(笑))を開催していた小さな蔵元の代表に勧められた もう20本もない限定酒を購入して飲んだが、マジ 美味かった!
ラン友より
えちご(.)くびき野ウルトラマラソン(感想)
大会はコースこそ厳しい所もありましたが、市民あげて朝早くから沿道での応援や30を超えるエイドには、地元の名物の数々、食べ尽くせないほどで、おもてなしは、素晴らしいと感じました。コースは6つの峠が前半から始まり、厳しい起伏に翻弄されましたが、頂上からの眺めは素晴らしい 山には大杉の産地や神社、城跡、滝などもあり、ゆっくり見たいところでしたが、制限時間と闘う自分には余裕はなく、走りながら景色を楽しみました。時々、熊出没の看板にドキっとしましたが、千人を超えるランナーがいるので大丈夫と信じ…。コースの水路には沢ガニが、見上げれば、たわわに実った柿や栗。山を下ると日本海が、内陸へ向かうと田園が広がる自然豊かな景色は最高です。さすが大会テーマの<まだ見ぬ景色を探しに行こう‼️>にふさわしい場所でした。自分はゴールまでの景色を全部見ることは叶いませんでしたが、記憶には残ると思います。大会のリピーターが多いのも町をあげてのおもてなしと景色の良さなのだろうと感じました。開催地の皆様に感謝します。ありがとうございました。
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